学校体育館の拡声設備の実情について私が感じることを、日本音響学会の会誌74巻8号(2018年)の会員投稿欄に寄稿しましたので紹介します。寄稿は文章のみで写真はブログのみの掲載です。

 

  
 

卒業式。会場の体育館のスピーカは国内メーカが揃って標準とするメインスピーカ(舞台左右に各1台)+サブスピーカ(室の前から2/3付近の両側壁に各1台)。基本は間違っていないがなぜか室の奥行や幅に関係なくどこも同じ機種と台数で、音質補正やディレイの機能が不十分で空間に合せた音響調整ができない・されていないことが多い。そのため室の響きが抑制され、明瞭な言葉が十分な音量でマイクに入力されれば聞こえるが、声が小さい、滑舌が悪い、マイクが遠い、響きが長いなど拡声に不利な要因があると突然崩壊する。

 

私は会場最後部の下手にいたが、スタンドマイクの司会者の言葉は聞き取れたが、演壇の校長、来賓の挨拶、卒業生の答辞は隣の妻曰く「何を言ってるのか全然分からない」状況。演壇ではマイクと口が離れるし、来賓は早口でやや不明瞭な話し方だった。会場の響きは短めだが、室の奥行きに対してサブスピーカの数が足りていない。また音量が程々の時はサブスピーカの音が支配的でまだ良いが、声が大きくなるとメインスピーカの音も聞こえ、ディレイがない為にサブスピーカの音とずれて非常に聞き難くなる。声量が変化する度に聞き取れる・取れないが繰り返され、いっそずっと聞き取れなければ諦めがつくのにと思うほど。

 

このような拡声の実状は工事完了時に声量を一定に保つ訓練をしているNHKアナウンサーによる試聴用CDを再生しても確認できない。私の経験と知人の話を総合すると学校体育館の拡声が不良の事例は多い。拡声設備の基本は字の如く増幅装置だ。よって拡声品質はマイクで入力した音をいかに良い音に整え、空間に応じていかにスピーカを計画し、再生音をいかに明瞭なひとつの音に整えるかで決まる。空間での音の振る舞いの考慮とそれを適切に調整する機能がカギである。

 

学校体育館は拡声に不利な音響条件になりがちなのでその検討がより重要である。それにも拘らず、設計事務所が頼るメーカの無償の設計協力・提案システムは、空間の音響の考慮が皆無もしくは不十分で調整機能も不足の機器のことが多い。提案に添えられる直接音の音圧シミュレーションには室内音響は加味されない。しかしメーカも設計事務所も施主も皆それで十分だと思っている。

 

学校体育館などの拡声設備の設計・施工が長年このような状況で行われている為に残念な拡声設備が今も全国に蔓延し続けている。

 

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以上が寄稿文ですが、ブログでは知人の話もいくつか紹介します。

 

「同感です。自分の子供や孫の運動会の音たるやひどいものがあります。聞こえない場所や歪んでる音で演技させている。先生たちの努力が晴れ舞台では発揮されていないし父兄たちも当たり前のようになっている。お金のある幼稚園とか私立の学校では音響会社に頼んでいるところもあるようですが、予算の見直しを根本的に改善していかないと難しいように思われます。多感な幼少期にこそいい音でいい音楽を聴いて育つとまた違った力が発揮できるはずです。教育委員会に打診したこともありましたが、事なかれ主義でたらいまわしにされたこともありました。なんとかしたいのは本当に同感です。」

 

「昨日の卒業式の体育館は、校歌パネルの外側にスピーカで左右に離れすぎていました。先日あまりにひどい状態に校長先生直々に調整を依頼してきた母校はディレイが無い状態。新しい統合中学校はサブスピーカーにディレイも装備されていました。GEQやレベル調整でなんとかしのげるものの、ワイヤレスマイクなどはチャンネルがあったりグループもめちゃくちゃと言うところが多い。何度か調整しているところも次に行くと完全に無法状態。生徒や先生、それに時々訪れる学校公演の出演者があり得ない設定にしたりしている。アメリカの学園ドラマなどでは学生がPAの調整をしている姿を見かけますが、表現の手段としての音響技術は学習プログラムに入らないものだろうか?高校の音楽の教科書にPA装置の解説が載っていたものは見つけたのですが、まず先に先生を指導しなければ。」

 

「この問題は常々言い続けてる様に、一から順に、全てにおいて変えていかないとね。機材の問題もさる事ながら、体育館音響に関しての関心が無ければどうにもこうにも延々とこの問題は解消していかないのでは?と思ってます。」

 

どれもうなずけるコメントです。

 

学校というとよく「集会時に生徒が話を聞かない、集中しない」などと生徒を批判する声を聞きますが、そもそも聞こえ難くければ誰だって聞く気になれない、集中できないのは当然です。聞き手を一方的に批判する前に、「ストレスなく聞きとれる音声が提供できているか?」をまず考えるべきでしょう。これは音響設備の問題もありますし、話し手の話し方とマイクの使い方も大きく関係します。良い音質でストレスなく聞こえれば聞き手は自然と集中しますし、内容の理解度も増すことは容易に想像できます。何かに集中する状態はリラックスしているときに得られるもので、集中しろと強いられてできるものではありません。アスリートが本番前に大好きな音楽を聴いていることと同じです。

 

また、拡声設備はそこに集う人々に言葉を伝えるために設置されているはずです。さらにそこには何のために言葉を伝えるのかという大元の目的があるはずです。何のために生徒に発表させるのか。それが研究であれ歌であれスピーチであれ、自分の学習活動を他人に発表して伝えることと伝えられた他人から反応を得ること=すなわちコミュニケートによって、学習の喜びや手応えや達成感や楽しさや自信とか何かを得るためではないでしょうか?であれば学習の大切な場面を担う拡声設備の品質は、学習効果や学習意欲を左右する重要な要素です。拡声が不良であれば、頑張って準備した生徒のやる気が失われてしまうことだってあり得ます。

 

私は学校施設の拡声設備をこのように重視していますが、残念ながら非常に残念な設備が多いことは前述の通りです。子供たちの学校での学習活動がより本質的に充実したものになるように、本来の目的にかなった品質を提供できる拡声設備の普及に努めたいと日々思います。

 

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